食事療法に潜む意外な危険とは

アトピーを治す場合、見落としがちなのは「安全性」です。

断言しますが、安全を無視した「アトピー完治への道」はあり得ません。
ひと昔前、アトピー患者に脱ステを強制する民間療法の指導者がいました。

「ステロイドの悪い毒を抜き切らない限りアトピーは治せない」
「私達も協力します。一緒に頑張りましょう!」

ステロイドを一気に抜く危険性には触れず、とにかく止めろの一点張り。ちなみに、アトピー自体は死に至る病気ではありませんが、掻き壊した皮膚からの感染症では死に至る危険性もあります。

一方、食事療法に関しても注意が必要です。
突飛な常軌を逸した療法には近づかない方が賢明です。そんなことをしなくても、アトピーは普通に治せるのですから。

食事療法は危険?

食事療法には危険な面が隠れています。

その代表的例が摂食障害。
摂食障害と言えば、一時期過激なダイエットが話題になりましたが、アトピーの食事療法でもこの摂食障害に陥るケースが少なくありません。

なぜでしょう?

それは「食事の内容」に原因が隠されています。
当然ですが、食事は生命活動に不可欠で、ここには「善い」も「悪い」もありません。

ところがアトピーに良い食べ物と悪い食べ物のような二者選択的な基準を設けるとどうでしょう?実はこの基準が、自分自身を苦しめる火種になる可能性があります。

この話、経験のある人には痛いほど分かる一方で、経験の無い人には全くピンと来ないかもしれませんね?つまり「治したい!」と言う気持ちが強くなるほど、自分が決めた基準に従順であろうとします。

最初は小さな火種でも次第に大火となり、それが「拒食」や「過食」と言う形で自分に跳ね返ってきます。自分で定めた基準で自分が苦しむ訳です。

で、「治したい!」気持ちが強くなるほど、本人にはそこが見えにくくなってしまう。これが摂食障害の怖さで、私自身、この経験があるので、これは実感としてよくわかります。

私の場合はこうです。

私は元々「インスタントラーメンが大好き!」といほどではありませんでした。
あれば食べるけど、無ければ無いでわざわざ買わない。この程度だったのです。

ところが、これに「アトピーに良くない食べ物」と言う基準を設けた途端、とにかくインスタントラーメンが食べたくなるのです。

しかもこの欲望は強烈になるのです。で、これを我慢すると、次は「食べものに対して卑しい自分」と言う罪悪感が芽生え始めたのです。

そして遂に、この罪悪感は食事そのものに転化。要するに、食べること=罪悪感です。

摂食障害のカラクリ

私は過去、10日間の断食を数回経験したことがあります。

この経験から、断食がアトピーには効果的でそのうえ即効性もあると個人的には思っているのですが、アトピーを治す際、私は断食は推奨していません。 何故なら、断食には「危険」が潜んでいるからです。

これは私の経験ですが、断食中にアトピーがどんどん良くなると、次第に食べる事に対して罪悪感を抱いてしまうのです。

「食べたい!」「でも食べてはいけない!」
「食べることばかり考えている自分は卑しくて情けない人間」

こんな感じなのですが、この心理状態は全く健全ではありません。食事は人が生きるための必須行為で、そのこと自体は善悪の対象ではないのからです。

苦しみは自らが作り上げた幻想

食事はそもそも善悪の対象の外にあるものです。

従ってアトピーに良い食べ物、悪い食べ物のような基準の設置には注意が必要です。ここには明確な根拠は無いので、自分の創り出した基準に自ら苦しむような自虐行為は避けたいものです。

そんなことより、もっと安全で確実な方法があります。
それは「お腹減った!」と感じてから食べること。逆に、お腹が減っていないなら食べない。

つまり、「何を食べるか?」ではなく「どんな状況で食べるか?」こちらの方を重視する。

体が欲しているのか、頭が欲しているのか

私が思うに、食欲には2つのパターンあります。

ひとつは体が欲しているケースで、これは山で遭難した時を想像すると分かりやすい。この時の食欲は生きること、つまり生命維持のための食事なので、空腹を満たすだけで満足感がある筈。で、これは単純に生きるために食べている状態と言えるでしょう。

一方、体ではなく頭が食べ物を欲しているケースもあります。

この場合の食欲は生命維持ではなく、「何を食べるか?」の方に関心が向いてしまいます。、コレはある意味、生きるためではなく食べるために生きているような状況です。

これが全て悪いとは言いませんが、少なくともアトピーを治すには頭よりも体が欲しているタイミングで食べるのが良いことは間違いないでしょう。

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